50年以上も障害児の実践教育研究活動に携わってきた「障害児教育と私」の著者、喜田正美さんに聞く

「障害児教育と私(上・下)」の著者、喜田正美さん
障害児教育と私(上・下)|喜田正美/著
  • 障害児教育と私(上・下)
  • 喜田正美/著
  • 四六判
  • 上巻:240ページ
  • 下巻:228ページ
  • 並製本
  • オフセット印刷 箱入り
  • 制作部数:上下2巻セット 200部
  • ISBN:978-4-904241-17-2

喜田正美(きだ まさみ)プロフィール

  1. 1928年、東京生まれ。1948年より杉並区立阿佐ヶ谷中学校で教師生活を始める。
  2. 1960年より小金井市立小金井小学校特殊学級を担当して以来、長きにわたって障害児教育に携わってきた。
  3. 都立八王子養護学校、都立町田養護学校、杉並区立済美養護学校等を歴任後、1986年に定年退職を迎える。
  4. その後も「障害児教育実践研究会」等、さまざまな民間の教育研究会に参加する、現役の実践教育家である。

重度障害児教育に関するこれまでの実践的な取り組みは高い評価を受けており、教育科学研究会賞(1981年)、「野杉春男章」(1986年)を受賞。著書に「障害の重い子の学習指導」(ミネルヴァ書房)、「障害児の発達と教育」(ぶどう社)、「障害児の自我形成と教育」(ぶどう社)、「遊びと手の労働のすばらしさを 障害児教育の実践」(あすなろ書房)、「障害児のための絵本シリーズ『あそぼう、つくろう』」(福村出版)等がある。

高度成長期にスタートした日本の知的障害児教育

日本の知的障害児教育の発展は、昭和の高度成長期と共に始まりました。最初はさくら学級と称し、校長室の隣の接待室を教室としていましたが、だんだん対象となる生徒の障害の種類や程度も重くなっていったのです。本書をまとめるにあたり、これまでの自分の障害児教育の歴史を振り返ってみましたが、時代のターニングポイントに自分が居合わせたのだということを改めて感じました。

というのも、私が初めて特殊学級を担当したのは、1960年。その前年に全国の各市町村で特殊学級の設置が義務づけられるようになり、1973年からは精肢混合教育(知的障害児と肢体不自由児を一緒にした教育)がスタートします。重いてんかん発作や自閉症など、これまでなら入学を断られていたような障害児でも、希望すれば学校に通える時代がやってきたのです。

しかし現場の混乱は大変なものでした。私が1973年に赴任した町田養護学校では、まったく経験したことがないような重い障害の子どもたちを担当することになったのです。授業をしようにも、そもそも生徒たちと会話が成り立ちません。ずっと動き回ってしまう子どもがいるかと思うと、逆に学校にいる間は車いすの上でずっと目を閉じたまま眠ってしまっているような子どもがいる。

彼らの教育をどのようにおこなうべきなのか、誰も教えてくれません。自分たちが日々の実践を重ね、効果を検証するといった実践活動の繰り返しを、少しずつ重ねていきました。私の最初の著書「障害の重い子の学習指導」は、そんな研究成果を一冊にまとめたものです。

自費出版ブックメイド「障害児教育と私」の挿絵
実践の繰り返しで重度障害児を導く

どんなに障害が重い子どもでも、学校に行くことには意味がある

忘れられない思い出があります。ある重度障害の女の子のことです。車いすにのったままで首も固定できず、指が少し動くだけ。学校に来ても、ほとんど一日中寝ている状態です。お昼になると先生がだっこして、ごはんののったスプーンを唇にちょんちょんとあてると口を開けます。口の奥にごはんを落としてスプーンを引くと、むにゃむにゃして飲み込みました。この指導だけで、なんと半年を要したのです。これだけ重度の子どもが学校に通うことに意味があるのだろうか。教師としては悩みました。

しかしある時、彼女の反応に画期的な変化を見つけます。食事の前にはアコーディオンで給食の歌を奏でるのですが、彼女の唇が歌っているように動いていたのです。しかもお母さんに近い女の先生の歌声でないと、反応しません。ちゃんと声を聞き分けているという表現の発見です。結果的に彼女は風邪をこじらせて一年生の冬に亡くなられましたが、お母さんからは「学校に行くときは表情が穏やかで、家にいるときとまるで違っていました」と言われ、救われたような気になりました。

どんなに重い障害児にも、学校は必要なのだと、この時確信しました。じつはこれだけ重度の子どもたちに学校教育をおこなっている国は、世界中でも日本だけ。欧米諸国の模倣からスタートした我が国の教育が、いつの間にか最先端のレベルに達していることを、本書をまとめる中で私自身初めて気がつきました。

自費出版ブックメイド「障害児教育と私」の挿絵
障害が重い子どもでも、学校に行くことには意味がある

共に研究してきた仲間からの序文は、私の一生の宝物

本書には、これまでの私の教育活動の歴史や、過去の著書の要約、障害児教育に関するさまざまな研究会のメンバーたちと議論してきた実践報告をまとめてあります。初めて著書を出版したとき、日本を代表する障害児教育者であった父から「お前はこんなに障害の重い子の教育をしているのか」と褒められて感動した覚えがあります。

今回の本でもまた、嬉しい反応がありました。明官茂先生(全国特別支援学校知的障害教育校長会会長)や渡邉健治先生(東京学芸大学教授)に、それぞれ「教育実践にイノベーションをおこす取組とは」「『研究者何するものぞ』真の教育実践家であり続けるために」という序文を書いていただいたのです。

これまで何百回とおこなってきた研究会で意見を交わしてきた戦友たちからの評価は、私の中では百万ドル以上の価値があります。この序文をもらっただけで、苦労してまとめた甲斐がありました。

本書は基本的には、関係者や関係機関に贈呈させていただきます。少子化が話題となっている現在、日本では知的障害児の出生比率が上昇しているという問題も発生しています。障害児教育は、これからますます重要になってくるでしょう。そのためにも私たちの実践記録を、関係者たちに広く知らせていきたいですね。

障害児教育の実践記録を後世に残す書物
自費出版ブックメイド「障害児教育と私」の挿絵