汗と才能の世界(「働く広場6月号」掲載)

Kプランニング

はじめに

私はこれまでに全国にある約290カ所の障害者就労支援施設を訪れ、障害のある人たちが働く現場を取材してきた。自分自身も若いころに約20年にわたって身体障害者授産施設(当時)で勤務してきた経験を活かし、さまざまな観点から優れた事例を紹介してきたつもりである。今回このような連載エッセイを書かせてもらう機会を得たので、私が考えてきた「障害のある人たちが働く意味と可能性」について、まとめてみようと思う。

障害のある人が働く職場のほとんどは労働集約型

現在、日本には約1万7300カ所の障害者就労支援施設(A型・B型合計)があるといわれている。その多くが、各種の製造工場、クリーニング、清掃作業、製菓製パン、部品組立などの下請け作業、農園作業などである。もちろん業種の差はあるものの、ほぼ労働集約型産業に集中している。

多くの人手を必要とするから、障害のある人でも雇用機会が失われない──これが、昔から作業科目を選定するときの関係者の基本的な考えだった。IT革命が進む現代においても、その意識は変わっていない。それゆえに特別支援学校を卒業後の子どもたちの選択肢は少なく、似たような就労先になってしまうのが現実である。

しかしよく考えてみると、たいへん不思議なことでもある。障害のある人というのは、そもそも身体的・精神的要因でカラダの一部が機能しない人たちのことをさす。どこかの能力が弱っている人たちが、その身体を駆使して「労働」しているわけだ。当然ながら高い生産性は望めず、得られる収入もかぎられてしまう。これは、障害者就労支援施設の月額平均工賃が向上しない大きな要因の一つといってよい。

障害のある人たちに「才能」はないのか?

「障害のある人の就労の場として、まったく新しい分野を開拓できないのだろうか?」じつはこんな疑問を、約30年も前に提起する人物がいた。私の師匠でもあった故・剣持忠則氏(コロニープランニングセンター元所長)である。彼は労働集約型産業のことを「汗をお金に換える世界」と定義し、対局である「才能をお金に換える世界」への発想の転換をうながした。

世の中には、身体を使わなくても自身の才覚だけで生活できる人たちがいる。その仕事の多くは付加価値が認められ、高い収入も保証されている。本来は〝障害のある人たちこそ〟こんな世界をめざすべきではないか。非常に極端な考え方であることは十分承知のうえで、剣持氏は関係者に対して叱咤激励をくり返した。いまあらためて彼の主張を読み返しても、まったく古びていないことに驚かされる。

視点を変えて考えてみよう

もちろん才能にも、さまざまな種類がある。芸術活動に代表されるクリエイティブな才能はもちろんのこと、障害のある人がそれぞれ持っているユニークな個性もまた、才能といえるのかもしれない。通常のベクトルでは見逃されがちな彼らの個性をプラス視点で見直し、それを「仕事」にまで昇華できる発想こそが、いままさに障害者就労の現場で求められているはずなのだ。

はたして全国では、これまでにどんな才能が見いだされてきたのだろうか? 私が取材してきたなかでユニークな事例を紹介しつつ、理想的な支援のあり方について次回以降で考えていくことにしよう。

はたらく広場6月号